「行く」と「帰る」の境目

実家に帰る。
山口に帰る。
東京に帰る。

3つとも最近使った表現やけど、今の自分にはどれも違和感がありません。

でも、
3歳まで住んでいた愛知県の春日井市や、小4のGWまで住んでいた大阪の交野(かたの)市だと「帰る」じゃなくて「行く」の方がしっくりきます。

そして、一度も住んだことのない和歌山のいなかには、「帰る」がしっくりきます。

これって、どこに境目があるんやろ?

住んでいた長さじゃないのは、東京や和歌山の例でも明らか。

春日井や交野には、行ってももう誰も会う人がいなくて愛着がないから?

ということで説明がつけば簡単なんやけど、自分の中で不可解なのが、姫路の扱い。

今の実家に次ぐ長さの期間(7年)住んでいたし、これ以上ないぐらい充実した日々を過ごしていたし、魅力的な人たちにもめぐまれていた。

「帰る」要素が満載なのに、自分の中ではもう「行く」なんです。

ああ、もしかしたら案外つまらないことで、社会的なマーカーがあるかないかだけなんかも。

実家には両親がいる。
山口には仕事上の所属がある。
東京には住民票がある。
和歌山には本籍がある。

姫路から山口に転勤になって住民票を移した時点で、「帰る」場所ではなくなった・・・?

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