今日は初めて31(サーティワン)のアイスクリームを食べに行きました。
いろいろ味が混ざってておいしそうなレインボーシャーベット。
カップでなくコーンを選んでしまったので、片手がふさがって写真が撮りづらい><
でもそのコーンが思いのほか香ばしくてGood!
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ちょうど1年前の日記に(一応)1年の抱負としてやったことないことをいろいろやってみたいと書いてたけど、そこに
「広ければ浅いのはしかたない」
と書き加えていました。
でも「広くて浅い」って、しかたないどころか「広くて深い」よりもひょっとするといいんちゃう?
って思い始めています。
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だいたいのところ、
自分が深い分野では自分が与え手になって、自分が浅い分野では自分が受け手になるということが一般的に多そうです。
受け手として話をするときって、相手の何かを求めて話をするわけなので、相手からすると「相手が自分である意味がある」という気持ちで話をしてもらえそうです。
逆に与え手として話をするときって、相手からすると極端な話「相手は自分じゃなくてもいいんじゃない?」という気になってしまうこともありそうです。
それは結果であって、ねらってるわけじゃないけど、自分としては受け手の方がおもしろい。
旅行でも、
「観光名所があるかもわからないようなところに何がおもしろくて行くの?」
とよく聞かれるけど、何があるかはわからなくても、現地のことについてはまちがいなくこちらが受け手になれるってことが約束されています。
それは相手が子供であってもお年寄りであっても同じ。
知らないところであればあるほど、より強く受け手寄りになります。
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永遠に受け手メインを続けるということはなかなかできないことなのかもしれないけど、排気を吸気に使うサイクル掃除機みたいなことができないかちょっと気にしてみようと思います。
そのあと、小さな与え手でも「風が吹けば桶屋が儲かる」の「風」にしてしまえるような受け手になるのがちょっとした理想です。

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