蒜山高原での休暇(3)-テントの設営と撤収

この続きです。

実践で何が使えて何が使えないかを試すために、泊まりグッズはほぼフルセットで持ってきました。

車をテントのすぐ横まで乗り入れられるオートキャンプサイトにするかは迷ったのですが、最終的には山登りでのテント持ち運びを想定しているので、ただの持ち込み区画サイトにしました。

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わかりにくいけど、四角い枠で区切られています。

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今回はインナーテントの下にフットプリントを敷きました。

フットプリントいる派といらない派で意見が分かれているという話は聞くけれど、このインナーテントは床も生地が薄いし、撤収のときにフットプリントの下が濡れて汚れていたので、あった方がテント本体は長持ちしそうでした。

フットプリントは雑に洗ったりしても問題なさそうやけど、テント本体はそうはいかなそうなので。

1泊目も2泊目も、夕方から朝にかけて夜露で外側のフライシートが濡れました。

2日目はずっと張りっぱなしだったので、昼間にはすっかり乾いたけれど、3日目は朝が曇っていたこともあって、かなり濡れっぱなしに。

撤収のときには、タオルで全体的にざっと水気を取って、ちょっと置いておくと乾きました。

撤収日が雨やったら大変やろなあ・・・

蒜山高原での休暇(2)-山に登る

この続きです。

セルフ3連休の2日目に何をするかははっきり決めていませんでした。

近くの大山(だいせん)に登るのもよさそうやけど、山頂までのコースタイムが3時間なので、お昼休憩を入れても往復7時間ぐらい。ひとり登山で下山が夕方になるのは危ないので、今回はやめとこう。

高原をサイクリングするも楽しそうやし、キャンプ場のすぐ近くの山に登るのもいいなー。

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上蒜山に登ろう!

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運動不足がたたってか、けっこうきつい><
いつでも引き返していいぞと自分に言い聞かせて、「とりあえず次の合目看板まで」とちょっとずつ高度を上げていきます。

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山頂!1202m!山の名前の看板がない!見晴らしがよくない!でもこのあたりまで来るとすずしいので歩きやすいです。

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お隣の中蒜山(1123m)の方が見晴らしがよさそうで縦走したくなるけれど、体力に余裕があっても持ってきた飲み物が足りないのでここで引き返します><

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途中一番見晴らしのよかった八合目ちょっと上あたりでお昼を食べて下山。

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ジャージー牛乳を飲んで、

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温泉に入って、充実の休日!

蒜山高原での休暇(1)-町を離れる

ジムの習慣も戻しつつ、リハビリを続けてきましたが、まだ本調子とまではいかない感じです。

町の喧騒を離れなくては><

ということで、また有給で3連休を取って、蒜山高原に行ってみることにしました。

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ここをキャンプ地とする!2泊。

夕方になると、空は晴れているのにテントの外がしっとり濡れてきます。

夜になると、満天の星空。長らくこんなの見てなかったなー。

もうしばらくすると、月が出て星が薄まりました。明かりがなくても外が歩けます。

カエルが鳴いている。
気温が下がってくる。

そうそう。自然ってこんなだった。

共感覚

よく絵描きの人で、カラフルな曼荼羅みたいな絵を描く人がいます。

「自分には世界がこんなふうに見えているんだ!」

それってほんまなんやろか?

昨日こんなことを描いたけど、もしかしたらありえるかもという
ケースに思い当たりました。

それは、音を色として感じる共感覚を持った人のような場合。
その場合だと、

それほどカラフルでない現実の景色がカラフルに見えているなら、
それほどカラフルでない現実の景色を撮った写真もカラフルに
見えているはずです。

これが成り立たないことになりそう。
写真には音がないので、この人にとって現実の景色と写真とでは、
視覚的にもちがいが出てくることになります。

一般的な視覚情報を紙の上に再現しただけでは、本人としては
音の分の情報が足りていないので、もっと何かを描かなくてはと
思ってしまう。そしてその分の色を乗せて初めて、現実といっしょに
なったと認識することになる。

共感覚を音と関連づける必要はないけれど、共感覚以外で説明のつく
ケースってあるかな?

絵描きの人の見え方

よく絵描きの人で、カラフルな曼荼羅みたいな絵を描く人がいます。

「自分には世界がこんなふうに見えているんだ!」

それってほんまなんやろか?

それほどカラフルでない現実の景色がカラフルに見えているなら、
それほどカラフルでない現実の景色を撮った写真もカラフルに
見えているはずです。

それやったら、現実そのままに描いたそれほどカラフルでない絵だって
自分にはカラフルに見えてるんじゃない?

で、それをもって

「自分には世界がこんなふうに見えているんだ!」

とも言えるはずなのに、あえてもっとカラフルに描いてるっていうのは、
現実はそんなにカラフルじゃないってことをちゃんと認識できてる
証拠ちゃうんかなあ。